置手紙
こんばんは。黒鳥ゆいかです。眠れないので更新しました。
最近すごく冷え込みますね。今日も夕方から雪が降るようです。
私の住んでいる地域は毎年一応雪は降るのですが、そこまで積もるということはありません。とはいっても、ここ数年は冬季の冷え込みが厳しいためか、よくわかりませんが2月ごろになると簡単な除雪作業をしないと自転車に乗れないこともあります。(学校へは自転車で通学しています。)
そんなあまり雪の降らないところに住んでいるせいか、雪への憧れというのは、私の中で以外にも大きいものです。
高校1年生の冬休みの終わりに、中学の時の友人と岐阜の飛騨へ旅行したときのことを思い出します。肌に痛い寒さの中、しんしんと雪が降っていた情景が今でも恋しいです。あんなに素敵なところを大切な友人と歩いたことは一生の思い出です。
ところでなごり雪という言葉、ご存知の方が多いと思います。意味合い的には遅れてやってきて、降っている雪、という意味になるようです。(3月中ごろ以降かな?)
この言葉が有名になったのは他でもない、フォークグループのかぐや姫のメンバーである伊勢正三さんが手がけ、イルカが歌った『なごり雪』です。
やっぱりこの曲ですよね。素晴らしい感性で素晴らしい仕上がりの曲だと思います。
しかし、「なごり雪」という言葉、実は伊勢正三さんがこの曲を作り上げるまで存在しなかった単語なのです。制作当初、「日本語の乱れを助長するかもしれない」という思いに伊勢さんは悩まされたそうです。
しかしこの曲がこの世に生まれて約40年の時を経て、2013年に日本気象協会によって『季節の言葉』に選ばれたそうです。それだけ素晴らしい曲だし、タイトルのその1単語だけで素敵だなぁ…なんて思えますよね。すごいと思います。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日ご紹介する曲は同上のフォークグループ、かぐや姫の隠れた名曲『置手紙』。
この曲はスタジオ収録音源が存在せず、ベストアルバムなどに収録されている『置手紙』はライブ収録音源だそうです。作詞作曲伊勢正三。
例によってYouTubeから。
聞いていただけましたでしょうか。
最初の出だしのトレモロが印象的な曲ですよね。
コード進行も当時では珍しいもののような気がします。(コード進行自体に詳しくはないのですが笑)
独特の進行と、スリーフィンガーによるギターの演奏がものすごく魅力的に聞こえる一曲です。
この曲に関してはどこのフレーズが素晴らしく心に来る、ということはなかなか上げにくいです。
だって、タイトルが『置手紙』ですよ?この曲は曲自体が一人の少女への別れを告げる手紙になっているのです。
この頃の叙情派フォークと呼ばれるフォークソングは一つのストーリーが出来上がっていることが多いです。最初に紹介した『なごり雪』もそうですよね。
その中でもこの曲は異色と言ってもいいでしょう。それだけ歌詞や曲の流れが重要な一曲だと、私は思います。
だけど強いてあげるとすれば1番の最後の歌詞、「今日の寂しさは風にごまかされて いつまでも消えそうにない」という歌詞です。
もし私がこの手紙を書いている主人公だったら、「今日の寂しさは風にごまかされて気が少し楽になっている」みたいな歌詞にしてしまうと思います。
それを「風にごまかされていつまでも消えない」という表現ができるのは、ものすごい感性だと思います。風にごまかされて……どこかへ流してしまいたいのに風が邪魔をして心の中に閉じ込めてしまった…という意味でしょうか。難しいです。
今回なぜ『なごり雪』を先にあげてからこの『置手紙』を紹介したかというと、先日ツイッターにてこんなツイートをしたからです。
『なごり雪』も『22才の別れ』も名曲なんだけど、かぐや姫時代の正やんの曲で一番好きなのは『置手紙』です。次点で『好きだった人』
『なごり雪』も『22才の別れ』も入る余地の無い完璧な曲だと思う。ただ完璧過ぎて想像の余地があまり無い。『置手紙』はそういう面で優れた曲だと思う。
— ゆいか (@loveyuika_) 2016, 1月 19
読んでくださっている方はいろいろ思うことがあると思います。
私は、何も別に「『なごり雪』や『22才の別れ』は『置手紙』より劣っている(その逆も然り)」と言いたいわけではないのです。(わかってくださっていると思いますが。)
ツイートした通り、『なごり雪』も『22才の別れ』も完璧な楽曲だと思います。曲の運びも、歌詞の切なさや巧みさなども完璧です。
ただ、世界観が完璧であるがゆえに、想像の余地があまりない、というのも事実だと思います。
もちろん、登場人物に自分を投影して楽しんだり、共感できる曲です。しかし、ストーリーが完全に出来上がっているために、たとえば『なごり雪』ならば、(興味を持って)想像できるところといえば「何故別れることになったのだろう」といったところくらいではないでしょうか。(歌詞を読みとっているとその原因も少し限定されますね。)
『置手紙』も素晴らしい曲ですが、『なごり雪』に比べると幾分か想像の余地が残されていると思います。
「別れる原因は恋仲の亀裂なのか、年の差によるものか」や「いっしょに暮らしたかったということは同棲もしていないような、例えば二人の関係は教師と生徒だったりするのか」、「はたして本当に彼女は手紙を捨てるのだろうか」なんてことも色々想像ができる曲なのではないでしょうか。(もちろん、私の想像力が乏しいため『なごり雪』などの曲の想像ができないだけなのかもしれませんが。)
そういった面で、『なごり雪』や『22才の別れ』とは違った魅力があるのではないか、と思ったのです。
間違っても勘違いしていただきたくないのは、ここで言っている「完璧」とは、決して曲の優越を指し示すものではないということです。ただ、ストーリーや曲が隙間なく完成されている、ということを言いたいだけなのです。
いい曲には、「ストーリーや曲が完成されているもの」と、「自己を投影しやすかったり、想像の可能性がたくさんあるもの」があると思います。
これは優越を付けるものではなく、違う魅力のあるものとして自分の中に受容することが大切なのだと思います。
最近の音楽に対する聴衆の態度、それだけでなく自分の色々な趣味や思想に対して、皆すごく優越を付けたがっているように思えます。
それで成長するものももちろんあります。(経済は特にそうだと思います。)しかし、それでは人間として、すごく寂しくないでしょうか。
好き嫌いは別として、いいもの、いい考えには積極的に賛美をして、自分の中に取り込むほうが、人間として、豊かになれるのではないでしょうか。私は、まだ高校生の甘ったれではありますが、そう確信しています。
どうかこの記事を最後まで読んでくださった方は、音楽だけでもいい、素晴らしいものを素晴らしいと言える素直さを持ってみてください。それは、自分の見えてる世界を大きく広げる助けになると思います。